キングコング西野氏の騒動を考察してみた

Categories
Share

キングコング西野氏が「お金の奴隷解放宣言。」で結構騒がれています。 リンク先を読んでもらえればわかりますが、要約すると

  • 『えんとつ町のプペル』という絵本を出してて23万部
  • 値段が高くて買えないという小学生からの声がある。本来読んでもらいたい人たちにお金が理由で読んでもらえないのは悲しい。
  • なので、無料でWebで公開します。無料で読みたい人はそちらで読んでね。
  • お金を払いたい人だけ払えばいい。お金の奴隷解放宣言です!
  • 私は無料にできるからしたけれど、他の人たちに無料を求めないでください。

という感じです。

これが、結果としては絵本がAmazonで1位になったりしたそうです。

私も当初はこの西野氏の行動に否定的だったのですが、結果的にマーケティングが大成功してしまっているので、自分の考えは間違ってたのかなーと思って 自分なりの考察をしてみることにしました。

お金の奴隷解放宣言の違和感

その後のブログを読んでいくと、マーケティングの一環としてWebで無料で読めるようにしたと書いているのですが、 その動機が「値段が高くて買えない小学生がいたから」、というもので、お金のない人たちにも読んでもらうためという建前だったのに それが崩れてしまってるような気がします。なんか、マーケティングであるということを伏せて、マーケティングのために小学生のエピソードをダシにした感がすごいんですね。 それが世の反感を買ったのかなという感じがしてます。

「知られないと買われない」について

西野氏は、マーケティング戦略のところで、「知られないと買われない」というふうに書いています。

これは少し前に読んだ本にも書いてありましたが、全くその通りです。どんなに料理やサービスのクオリティを上げても、知られないとお客さんは来ない。 では、そのマーケティングについてですが、西野氏はともかくとして、他の無名な人たちはそもそもマーケティングが楽ではありません。 西野氏のマーケティングが楽かと言われれば、芸人で炎上を繰り返している人なので、もちろん最初は苦労したとは思いますが、『現時点』でいえば楽っちゃ楽でしょう。

無名な人は例えばpixivなどでファンを作っていくというのが正攻法かもしれません(pixivあんまり見たことないけど)。

コンテンツを無料化することはマーケティング上、有効かというと、有効なパターンも多いとは思います。 例えば、曲のPVはプロモーションビデオですから、購買意欲を喚起させるためのビデオです。 歌手のイメージ、曲の世界観を視覚的に伝えるためのものですね。 PVがなかったらきゃりーぱみゅぱみゅとかのイメージ・世界観は伝わりにくいでしょう。 なぜか西野氏はそれもダメになるじゃないかと声優さんに噛み付いてたのですが、 PVの意味がよくわかってないのでしょうか?PVはもともとマーケティングです。西野氏のように伏せてません。

直近でいえばピコ太郎氏もYoutubeで有名になり、そこから他とコラボしたりCMに出たりするようになりました。起爆剤は有名人に拡散されたからです。

信用稼ぎが炎上マーケティングに

西野氏はお金稼ぎではなく信用稼ぎが今後大事であるというふうに書いてます。

信用ってのは、

  • 有名であるか
  • お金があるか
  • 気心が知れているか

など、まぁ様々な尺度があるとは思いますが、『有名であるか』を悪用したのが、一時期問題となったステルスマーケティングです。 知名度のあるブロガーや芸能人に、レビュー依頼があったことを伏せてレビューしてもらい報酬を支払ったりして悪いことは書かせないようにしたりなどですね。 ステルスマーケティングは違法性が高いので、意図的に有名人を使って拡散するのは難しくなっていますし、やると炎上します。

ステルスではないですが、これができる人がいます。有名人自身が自分の作品をアピールする場合です。 つまり元々信用度が高いのです。もちろん有名人というだけでヒットするようなことはないことは重々承知してますが。 自分の西野氏はそれを一人でやってるだけなんじゃないかと思います(炎上マーケティングとして)。

素なのか狙ってなのかはわかりませんが(おそらく後者)、西野氏は炎上マーケティングが得意でしょう。 炎上させるための言葉の選び方のセンスがすごいですね。 自分だったら

「23万部売れたー。でも読みたいのに読めない人がおるって言われました。なのでWeb上で立ち読みできるようにしました。買えるタイミングになったら是非お手元に!」

みたいに書くと思うけれど、なんせ『お金の奴隷解放宣言』ですからね…。マーケティングの一環なのに。

何にお金を払うのか?

西野氏は「体験や物にお金を払うんじゃなくてコンテンツにじゃなくなってきてる」というふうに書いてたんですが、これ半分合ってて半分違うような印象なので、 西野氏の言い分に違和感を持っている人は結構いると思います。

コンテンツが提供するものは体験である、と思います(音楽は聴くこと、書籍は読書など)。コンテンツの価値が下がってきてるというのは確かにそうだと思いますが、 この価値の違いは人によって結構違うので(生活スタイルや収入によって)、その体験の価値もまた人それぞれだとは思いますが。

個人的には『納得』したら金を払っているなと思います。

マーケティング目線での考察

西野氏は「情報は無料にしたが、本を無料にしたわけではない。本は相変わらず2000円で売ってる。欲しい人は買えばいいし、そうでない人はWebを見てね」というふうに書いていました。 このマーケティングが成功した場合と失敗した場合を考えてみます。

成功した場合

成功した場合は、クリエイターも出版社も書店も儲かり、消費者も所有欲を満たせます(買って応援したという気持ちを満たせる)。 また、作品が好きでお金があるくせに買ってない人にある種の劣等感みたいなものを植え付けます(買ってないのにファンとか言っちゃうの?みたいな)。 ある意味、ファン作りに長けた戦略であると言えるのではないか?と思います

失敗した場合

考えてみたのですが、デメリットがほとんどありませんでした。というのも、今までとほとんど変わらないからです。 書店で本を買うときに、「待てよ、この本は無料で公開されているかな?」なんてわざわざ確認しないと思うのです(Kindle Unlimitedユーザーを除く)。 ただ、その認識が一般化してきたら状況は変わるかもしれません(ソシャゲは基本無料が当たり前、のように)

そう考えると、このマーケティング戦略は現状ではデメリットもほとんどない素晴らしい戦略であると思えます。

消費者行動の変化が起きたらどうなるか?

ただこの路線でいくと、「ハイクオリティのものしか売れなくなる」という可能性を感じます。 同じ戦略をそこそこのクオリティのものがとった場合、無料のもので満足されてしまうんじゃないでしょうか。

ただでさえユーザーは「安くてハイクオリティ」にしか金を出したがらなくなってきてると感じます。

本来、対価をもらえるクオリティのものが、求められるクオリティがどんどん高くなって、 もらえないレベルに転落するということはあるんじゃないかなと危惧しています。 「それクオリティを上げないクリエイターが悪いよね」みたいに言う人は多いかもしれませんが…。 いいもののハードルが上がることは消費者としては嬉しいのですが、クリエイターは大変なんじゃないかと思います。

この流れは止められるのか?

西野氏のいう「コンテンツの無料化・定額化の流れ」は西野氏の意見と同じく、おそらく止まりません。 もし西野氏がやってなくても、他のだれかが仕掛けてきてたと思います(炎上するかどうかは言葉選び次第ですが)。

こんな仕組みだとクリエイターが食っていけない、と批判しているだけではやられてしまうので、 このマーケティング手法が嫌ならば新しい方法を考えなければならないときだと思います。 西野氏の戦略は、なんせ現状デメリットがほとんどない戦略なので…(炎上気味であることを除けば)。


comments powered by Disqus